2015年 05月 29日
仏壇前の襖「保存修復作業」終わってびっくり!
あまりに古くなって表具やさんが
これはもう修復しかないです。とさじを投げたもの。
なんて書いてあるのか、誰が書いたのか。
おばあさんが、二代目清三郎が塾の先生に
書いてもらったものだと聞いてる、ということだけで
それ以上は長年わからなかったのです。
それが、ふとしたことから、書道家と知り合いになり、
襖を見てもらったところ、詳しい人に聞いてみるねと。
するとすぐに秋田藩士で教育家「神沢素堂(かんざわそどう)」作と
わかったのです。それも明治34年(1901年)の作品ということも。
ひえ~、ひゃく、114年も前のものなの~!
そして、その詳しい人こそ、文化財保存修復学会正会員
修復師というか、表具師 木村明夫さん。
この話は二年前の今頃のことで、おばあさんも喜んでいました。
そして、「ちゃんと直さんしぇ(ちゃんと直しなさいよ)」
と言ってたのです。
その後まもなくおばあさんが亡くなり、昨年襖の傷み具合を見てもらって
今年の春から修復に出してやっと帰って来ました。
見てください!まるで今書いたみたいになって!
すばらしい出来ばえですねぇ。
14作業工程中、酸化還元法という方法で
漂白処理を2回行ったとのこと。
これが大変な作業だそうで、
木村さんの長年の研究があるから出来ること。
こんなにきれいになって。
やわらかく落ち着いた感じになりました。
正直、ここまでのことは期待していませんでした。
色は茶色で、紙はパリパリとはげてきてましたから。
オットのベラくんも帰って来て「すげ~っ」と、歓声をあげてました。
神沢素堂さんに関しては、明治15年に
県許可の私塾責善学舎を開設して千人を超える塾生がいたそうです。
書画に巧みな人であったということで、やはり、
おばあさんが言ってたとおりでしたね。
素堂さんのこと知りたい人はうちに寄ってくださいね。
ここで紹介するには、長いので。
この漢詩の内容は、「自分たちで調べた方がいいよ~
楽しいから」ということで、これは宿題です。
が、多分すばらしい風景画が目の前に広がるような。
こんなにお若い方なんですよ。
お手数をおかけしました、ありがとうございました!
この引き手も今では貴重なものらしいです。
これでまた私たちの肩の荷が下りた感じ。